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2006年3月大学既卒人の就職活動など日々交交の記録。
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あーあ。
既卒で職歴なしの無職という立場にいると、
本当に将来の不安で足元が崩れて落ちていくという感覚を日々味わいます。
なんとか似たような境遇の人はいないかとネットの海にさまよいたくなります。
いるにはいるんですよね、同じような環境で就職活動をがんばっている人が。
ネットの海をさまよって、
そういう人たちのブログを見つけると、
ほっとすると同時に、
読むうちに、さらなる恐怖に駆られるわけです。
就職活動を終えている人が多いのですよね。
忙しいのか、新しく記事を書かなくなっているようなブログほど
よく見かけます。
そんなとき、あーもうだめだ、やばすぎるー、と
本当に惨めな気分に陥ります。
自分の努力が足りないのか、自分がもっとがんばればいいのかと
奮起すればいいのだと思うのですけど、
その前にあきらめの気持ちが前面に出てしまう。
書かれているブログをよむと
本当にまじめに自己分析や企業研究をされているとわかる記事ばかり書かれていたり、
明るい企業が求めるような性格をうかがわせられる記事をかかれていたり、
自分がいま、こうでなくてはならないと考える
「就職を勝ち取れる人」という理想の姿を持っている人のような感じを受けるのです。
そういった感じを受けると同じ既卒でもぜんぜん違う立場なのだな、
と思い知らされるのです。
来期四回生になる人たちはバブル期なみの売り手市場と
言われているのを聞いたときとはまた違う僻みが生まれるわけです。
本当に自分が醜く思えてイヤになります。
甘えているだけだと言われればその通りだとしかいえないでしょう。
過程が大事だという部分もありますが、就職活動にいたっては結果がすべてだと思っています。
受からなければ終わりなのです。
未来はもうないのです。
もっと努力すれば、がんばれば
採用されるというのであれば、一日一時間すら眠れなくてもかまわないぐらいの努力をする気力はあると思っています。
思うだけなので、実際にはないだろうと、言われれば
もう何も返す言葉はないです。
証明はできないのですから。
がんばれば受かるというものではないと聞きます。
実際ハローワークの職員の人にも面と向かって言われました。
数うてばあたるわけではないと。
就職活動をしていて、受かるためにがんばっていけないと思うこともしばしばあります。
先が見えないものに向かって、どのくらいの人があきらめずに努力することが出来るでしょうか。
努力できるというのは、未来があってのことなのだと
いまさらながら実感しました。
少なくとも私は未来を描けなければ、努力していけない人なのだと痛感しました。
就職活動をしていても、就職をしたことない状態では
将来自分が本当に就職をしているというビジョンは持ちにくいです。
就職指導を受けるとき、人生設計を考えましょうといわれました。
でも、はっきりいって大学卒業直後は一年後の未来さえ思い浮かべられませんでした。
就職したいと思っていても、就職して働いている姿が描けないのです。
アルバイトの経験はありますが、たいしたことなく、
また今自分が就きたいと思っている職業ではないので、
その経験は役に立たないのです。
就職できたなら、どんなにつらくてもがんばるという気持ちでいますが、
将来どんなことがあるのかわかりません。
もしかしたら、耐え切れなくてやめてしまうかもしれません。
それが自分の弱さからくるということでも
やはりあきらめきれない思いがあります。
だから私は就職活動を途中で投げ出したくなっていても、
あきらめずに活動を続けていられるのだと思います。
選ばなければ、職は見つかるという言葉があります。
でも今の世の中、何も選ばないでいられることはないと私は思います。
自由な社会というのは、常に選択していかなくてはならない社会だと考えます。
選ばないというのも、ひとつの選択なのです。
その選択が出来るかどうかが決め手なのだと思います。
既卒者の支援ではJOBカフェなどで相談をすすめたり、
実際に相談をして効果を得ているという文を読みます。
私は認めたくはないですが、引きこもり傾向にあります。
相談相手も両親しかいないし、
両親にもすべてを話せるわけではないです。
両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今まで育ててくれて、迷惑をかけているのに、
これからも迷惑をかけ続けていってしまうという思いが、
すべてを話せないというストッパーになっている気もします。
相談相手がいたらどんなにいいのかと思うのですが、
今までの短い人生の中でも、あまり人に相談してきた記憶がなく、
相談して邪険に扱われたということがあるので、
人に相談することに抵抗を感じる人間だという自覚もあります。
話せるときは話せるのですが、
そのタイミングはかなりの低確率なのです。
そんな自分なので、結構自分と語ります。
文章を書くというのは私にとって最大のコミュニケーションでもあります。
あるいみオナベーションに近いです。
文章を書くと、泣くのと同じくらいストレスが解消します。
なので、今この文章を書いている自分はすごく安定している感じがします。
鬱っぽいと思うときほど、文章が書きたくなるか、泣きたくなります。
今鬱っぽいのかといわれると、そうかもしれません。
たぶん、ひどく不安定な感情を持っていると思います。
私はよく泣く人間だと思います。
たぶん人は付き合いにく人間だとかんじると思います。
私は私なので、抵抗を感じませんが、
私でなかったらいやな人間だと思うかもしれません。
自分勝手で、自己中心的な人間だという思いもあります。
そんな自分なので、一生採用されないかもしれないという思いもあります。
自分の人生設計では
20代は努力の時代として、就職活動をがんばり、自己向上に努め、
30代で独立するという思いでいます。
実現できるよう努力するつもりですが、
本当に実現できるのか不安でたまらない気持ちもあります。
はやく正社員になって
胸をはって生きられるようになりたい。
自分の努力不足と思うことは
すごくつらいけれど、それを認めないと前に進めない。
でもそれを認めると、これから先、
どうやって前進できるようがんばっていけばいいのかわからないという
ジレンマに陥っているのが今の状況な気がします。
なにも見えないし、歯ごたえもないのです。
ただ一生懸命、あるがままを飲み込んでみて、
それではダメだといわれても、どうやって調理して食べればいいのか
わからないという状況です。
与えられる情報は「調理しろ」というだけで、
調理すればいいといわれても、それがわかっていても、
その調理の仕方がわからないので、
調理できないのです。
調理の仕方が出来る(わかる)人が勝ち残れる人なら、
私は一生だめなのかもしれないと思ってしまいます。
はあ。
がんばろうと自分に励ますしかない状況が
すごく悲しい。
すごく苦しい。
すごく自分が馬鹿で愚かで惨めな人間に感じる。
本当に将来の不安で足元が崩れて落ちていくという感覚を日々味わいます。
なんとか似たような境遇の人はいないかとネットの海にさまよいたくなります。
いるにはいるんですよね、同じような環境で就職活動をがんばっている人が。
ネットの海をさまよって、
そういう人たちのブログを見つけると、
ほっとすると同時に、
読むうちに、さらなる恐怖に駆られるわけです。
就職活動を終えている人が多いのですよね。
忙しいのか、新しく記事を書かなくなっているようなブログほど
よく見かけます。
そんなとき、あーもうだめだ、やばすぎるー、と
本当に惨めな気分に陥ります。
自分の努力が足りないのか、自分がもっとがんばればいいのかと
奮起すればいいのだと思うのですけど、
その前にあきらめの気持ちが前面に出てしまう。
書かれているブログをよむと
本当にまじめに自己分析や企業研究をされているとわかる記事ばかり書かれていたり、
明るい企業が求めるような性格をうかがわせられる記事をかかれていたり、
自分がいま、こうでなくてはならないと考える
「就職を勝ち取れる人」という理想の姿を持っている人のような感じを受けるのです。
そういった感じを受けると同じ既卒でもぜんぜん違う立場なのだな、
と思い知らされるのです。
来期四回生になる人たちはバブル期なみの売り手市場と
言われているのを聞いたときとはまた違う僻みが生まれるわけです。
本当に自分が醜く思えてイヤになります。
甘えているだけだと言われればその通りだとしかいえないでしょう。
過程が大事だという部分もありますが、就職活動にいたっては結果がすべてだと思っています。
受からなければ終わりなのです。
未来はもうないのです。
もっと努力すれば、がんばれば
採用されるというのであれば、一日一時間すら眠れなくてもかまわないぐらいの努力をする気力はあると思っています。
思うだけなので、実際にはないだろうと、言われれば
もう何も返す言葉はないです。
証明はできないのですから。
がんばれば受かるというものではないと聞きます。
実際ハローワークの職員の人にも面と向かって言われました。
数うてばあたるわけではないと。
就職活動をしていて、受かるためにがんばっていけないと思うこともしばしばあります。
先が見えないものに向かって、どのくらいの人があきらめずに努力することが出来るでしょうか。
努力できるというのは、未来があってのことなのだと
いまさらながら実感しました。
少なくとも私は未来を描けなければ、努力していけない人なのだと痛感しました。
就職活動をしていても、就職をしたことない状態では
将来自分が本当に就職をしているというビジョンは持ちにくいです。
就職指導を受けるとき、人生設計を考えましょうといわれました。
でも、はっきりいって大学卒業直後は一年後の未来さえ思い浮かべられませんでした。
就職したいと思っていても、就職して働いている姿が描けないのです。
アルバイトの経験はありますが、たいしたことなく、
また今自分が就きたいと思っている職業ではないので、
その経験は役に立たないのです。
就職できたなら、どんなにつらくてもがんばるという気持ちでいますが、
将来どんなことがあるのかわかりません。
もしかしたら、耐え切れなくてやめてしまうかもしれません。
それが自分の弱さからくるということでも
やはりあきらめきれない思いがあります。
だから私は就職活動を途中で投げ出したくなっていても、
あきらめずに活動を続けていられるのだと思います。
選ばなければ、職は見つかるという言葉があります。
でも今の世の中、何も選ばないでいられることはないと私は思います。
自由な社会というのは、常に選択していかなくてはならない社会だと考えます。
選ばないというのも、ひとつの選択なのです。
その選択が出来るかどうかが決め手なのだと思います。
既卒者の支援ではJOBカフェなどで相談をすすめたり、
実際に相談をして効果を得ているという文を読みます。
私は認めたくはないですが、引きこもり傾向にあります。
相談相手も両親しかいないし、
両親にもすべてを話せるわけではないです。
両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今まで育ててくれて、迷惑をかけているのに、
これからも迷惑をかけ続けていってしまうという思いが、
すべてを話せないというストッパーになっている気もします。
相談相手がいたらどんなにいいのかと思うのですが、
今までの短い人生の中でも、あまり人に相談してきた記憶がなく、
相談して邪険に扱われたということがあるので、
人に相談することに抵抗を感じる人間だという自覚もあります。
話せるときは話せるのですが、
そのタイミングはかなりの低確率なのです。
そんな自分なので、結構自分と語ります。
文章を書くというのは私にとって最大のコミュニケーションでもあります。
あるいみオナベーションに近いです。
文章を書くと、泣くのと同じくらいストレスが解消します。
なので、今この文章を書いている自分はすごく安定している感じがします。
鬱っぽいと思うときほど、文章が書きたくなるか、泣きたくなります。
今鬱っぽいのかといわれると、そうかもしれません。
たぶん、ひどく不安定な感情を持っていると思います。
私はよく泣く人間だと思います。
たぶん人は付き合いにく人間だとかんじると思います。
私は私なので、抵抗を感じませんが、
私でなかったらいやな人間だと思うかもしれません。
自分勝手で、自己中心的な人間だという思いもあります。
そんな自分なので、一生採用されないかもしれないという思いもあります。
自分の人生設計では
20代は努力の時代として、就職活動をがんばり、自己向上に努め、
30代で独立するという思いでいます。
実現できるよう努力するつもりですが、
本当に実現できるのか不安でたまらない気持ちもあります。
はやく正社員になって
胸をはって生きられるようになりたい。
自分の努力不足と思うことは
すごくつらいけれど、それを認めないと前に進めない。
でもそれを認めると、これから先、
どうやって前進できるようがんばっていけばいいのかわからないという
ジレンマに陥っているのが今の状況な気がします。
なにも見えないし、歯ごたえもないのです。
ただ一生懸命、あるがままを飲み込んでみて、
それではダメだといわれても、どうやって調理して食べればいいのか
わからないという状況です。
与えられる情報は「調理しろ」というだけで、
調理すればいいといわれても、それがわかっていても、
その調理の仕方がわからないので、
調理できないのです。
調理の仕方が出来る(わかる)人が勝ち残れる人なら、
私は一生だめなのかもしれないと思ってしまいます。
はあ。
がんばろうと自分に励ますしかない状況が
すごく悲しい。
すごく苦しい。
すごく自分が馬鹿で愚かで惨めな人間に感じる。
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